第1回 神戸たねまき寺子屋 振り返り

4月9日、第1回神戸たねまき寺子屋が実施されました。
まず皆さんへ会の趣旨と約束ごとについてお話ししました。

< みんなに身につけて欲しいこと >
① 強く正しく生きるための心を身につける
② 腰骨を立てる習慣を身につける
そして、本日のテーマは「幼心(おさなごころ)」でした。

尼崎たねまき寺子屋を設立されて、神戸たねまき寺子屋へ暖簾分けをしてくださった、杉田哲也さんへお話しをいただきました。
江戸時代(265年前)は鎖国の影響から日本の文明は外国より遅れてしまっており、支配(植民地)されそうになっていた。この状況を教育と行動で人に感化を与え日本を救ったのが吉田松陰。

松陰は1830年長州藩(現在の山口県)で生まれる
松陰5歳:非常に厳しい教育を受ける
松陰10歳:藩主の前で兵学の講義を行う
松陰20歳:日本全国を遊学し知見を広げる
松陰23歳:黒船来航、アメリカに渡り、日本を救う知識を得ようと思い、小舟で乗り込もうとするも失敗。鎖国中に海外に行こうとするのは罪であったため、自分の罪を申し出て、牢獄に入れられる。
なんと1年2か月の投獄中に620冊の本を読む。松陰はまわりの囚人に教えを乞い、教えてもらうも、沢山の本を読んでいることで逆に教える立場となる。囚人だけでなく看守もその勉強会に参加し、なんと模範囚として囚人とともに釈放される。
松陰27歳:世のため、人のためどのように実行し、どのように生きるかを学ぶために勉強をする塾として松下村塾を誕生させる。そして松陰29歳:安政の大獄から処刑へ。
松下村塾が行われたのはわずか2年ほど。その後塾生のほとんどが明治維新や明治政府で後世に名を残す人間として大活躍した。吉田松陰の志が多くの人を感化させた。
そんな松陰の言葉「今日よりぞ 幼心を打ち捨てて 人と成りにし道を踏めかし」(今日から幼い心を捨てて、人と交わって自分の道を生きていこう)
その中で子供たちと3つの約束をしました。
・朝、親に起こされる前に自分で朝起きる
・親に勉強しなさいと言われる前に自分から勉強する。
・兄弟ケンカしない

10歳にして指導的立場となった吉田松陰。そしてその後、後世に至るまで多くの学びを与え続けてくれている。私たち神戸たねまき寺子屋のメンバーも吉田松陰のように多くの人に感化を与えられる人間となり、沢山の子どもたちの心に火をつけたいと思います。

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