第6回 神戸たねまき寺子屋 振り返り

第6回神戸たねまき寺子屋が開催されました。
ここでは学校で学ばないような偉人や生き方を教えて、強く正しく生きるための心を育むことを目的としています。
今回の偉人は『海賊と呼ばれた男』のモデルとなった方で、出光佐三さんを紹介しました。

出光佐三さんは1885年に福岡県で生まれ、神戸高等商業学校(現・神戸大学)に入学します。そこで校長から「士魂商才」の精神を学び、生涯のモットーとします。
また、日田重太郎さんという富豪の息子の家庭教師をし、甘ったれを半年でシャキっと成長させ、人を育てる才能を見出されます。
卒業後は大手商社ではなく、酒井商店という個人商店に就職します。小麦の取引で海外進出を果たし、会社の成長に多大な貢献をします。
しかしその頃実家の愛染業が立ち行かなくなり、一家が離散したという知らせを受けます。独立して家族を呼び戻したいと考えますが、資金がありません。それを察した日田さんが、資金の提供を申し出ます。「貸す」ではなく「提供」なので、返済も利息も無用と言います。

佐三さんは深く感謝し、家族を集めて油を扱う会社を立ち上げます。しかしこの業界は既得権益や賄賂で成り立っており、新参で賄賂を嫌い取引を増やすことができません。3年経ち倒産の危機となり、日田さんに報告に行くと、最後の家を売って再び資金を提供すると申し出ます。
「それでもあかんかったら、一緒に乞食をしようや」と。この覚悟に感謝と感銘を受け、「人間尊重」を生涯貫くことになります。油の改良に取り組み、それでも既得権益で売れない状況を打破するため、海上で直接船に売り込み始めます。同業者からは佐三さんのことを、海で客を奪いとる「海賊」と呼びます。これで息を吹き返し、満州鉄道への車軸油導入にも成功し、海外に次々と拠点を作っていきます。
その後、戦争に負け、海外資産を全て失い石油の仕事もできなくなり、借金だけが残りましたが、「人間尊重」を貫く佐三さんは一人のリストラも許しませんでした。農業・漁業・ラジオ修理、何でもやって社員の生活を守りました。しかし、石油を自国で賄うことは国の独立のために絶対に必要だという信念を諦めてはいませんでした。
そんな折、GHQより「全国8カ所のタンク底に残った油を全てさらえば石油の取り扱いを認める」という指示があり、他のどの石油会社も渋る中、出光はこれを引き受けます。ガスが充満する過酷な仕事を1年余りにわたって続け、ついに完了させた出光は石油という翼を再び得ることになります。
昭和天皇は佐三さんが亡くなった時「国のためひとよつらぬき尽したる きみまた去りぬさびしと思ふ」と詠み、その死を悼みました。天皇が個人の死を公式に悼むのは異例のことです。

子供に伝えたいこと
1.友達や兄弟と、仲良く真剣にいっぱい遊ぶ子供の遊びは共感力を育むのにとても大事なことです。共感力が磨かれれば人が何を欲しているか感じ取れるようになり、また困ってる人がいたら助けたいという気持ちが育まれます。
2.当たり前に感謝する伝えたいこと1でも触れましたが、例えば目の前のご飯は、自分で用意したものではありません。誰かが食材を作ってくれ、それを父母が働いたお金で買ってくれ、料理してくれたからおいしいご飯を食べることができます。「いただきます」や「ごちそうさま」を言う時に、そのような感謝の気持ちを込めて言ってみましょう。それを続けるだけで感謝できる心は育まれます。
当たり前に感謝できているか。

大人が実践し子供の手本となることが、子供の教育にとって何よりの方法だと思います。

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