第14回 神戸たねまき寺子屋 振り返り

今回は杉本先生が「強い思い」をテーマに、楠木正成を偉人として紹介しました。
楠木正成は現在の千早赤阪村あたりをおさめていた豪族で、忠義に厚い天才軍略家として現在も尊敬されている偉人です。

正成が活躍したのは、鎌倉殿の13人から100年後くらいのことです。
北条家が執権として権力を独占していた鎌倉幕府の施政は腐敗し、後醍醐天皇が朝廷中心の政治に戻すため北条打倒を掲げます。
しかし挙兵は失敗し、天皇は逃れる途中、「『楠』という名前の付いた人物を頼りなさい」という夢を見ます。
楠木正成という人物がいることを知った天皇は、正成に使いを送ります。正成は天皇からの直々の要請に感銘を受け、一生かけて忠誠を尽くすことを誓います。
一度は敗れた天皇派でしたが、再起を図った楠木軍は千人の兵ととともに千早城に立てこもります。
そこに攻めかける北条軍80万。

圧倒的な兵力差でしたが、正成とその家来は「天皇をお守りする」という思いで一致団結していたので、楠木軍はとても強く、北条軍が何度攻めても跳ね返します。
この正成の粘りを見て、以前から北条に不満を抱いていた武士たちが次々と天皇側につき始めます。足利高氏という武将が京都の北条の拠点を陥落させ、新田義貞という武将が鎌倉を落とし、鎌倉幕府は滅亡しました。
たった千人で戦い抜いた楠木軍の頑張りが、日本を動かしたのです。

後醍醐天皇は朝廷中心の政治(建武の新政)を始めますが、貴族ばかりに恩賞を与え武士を冷遇したので、また武士の不満がたまっていきます。武士に人気のあった足利尊氏は不満を抑えきれず、反乱を起こします。
正成は新田義貞と共に一度は撃退しましたが、再び勢力を盛り返した尊氏にまともにぶつかっては勝ち目がないと、作戦を提案します。
「平地の戦いでは勝ち目がありません。一度京都を離れて、敵が京都に入ったところを挟み撃ちにしましょう。」
しかし貴族たちに「また京都を離れるのはならぬ」と却下され、正成と義貞は決死の覚悟で湊川で決戦に挑みます。正成は奮闘しますが、平地での戦いで兵力の差はどうしようもなく、義貞を逃がした後に獅子奮迅の戦いぶりを見せ、最後は部下共々自害して果てました。
敵であった尊氏も正成の死に「立派な武将であった」と涙を流したと伝わっています。
忠義を尽くした正成は時代を越えて愛され、神戸駅近くの湊川神社に祀られ「楠公さん」として今も慕われています。

正成の生き方からみんなに伝えたいのは、「思いの強さ」です。
80万の敵を相手に千人で立ち向かおうなど、普通に考えたら逃げ出しそうなものです。
しかし正成の忠義の思いを共有している家来たちは「死んでも正成様と共に天皇をお守りする!」という強い思いを持っていました。
思いというのは目に見えないから分かりにくいかもしれませんが、これほど強い力はありません。世のため人のための思いが自分を強くし、仲間を作っていくのは、今も昔も変わりありません。

現代の神戸でも、阪神大震災の年にオリックスがリーグ優勝、翌年に日本一になりました。
これも選手と神戸市民が「がんばろう神戸」をスローガンに復興に向けた思いを強く共有したからこそです。
神戸は、忠義の思いで人生を貫いた楠公さんに見守られているまちです。
何か頑張りたいと思うことがあれば、楠公さんのことを思い出してみましょう。
湊川神社はすぐ近くですし、強い思いで頑張れますようにとパワーを分けてもらいに行ってみてください。

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